小学校跡地からさらに奥に進むと,2軒のお宅がある。
この2軒だけが今も畝畑に住まわれているお宅である。
今回お邪魔した野尻さんのお宅は,奥の方のお宅で,林道との分岐点そばにあるお宅だった。
行くと,野尻さんが名前を呼んでくれたので,すぐにわかった。
そこで,アイスコーヒーとロールケーキをいただきながら,
9時半ぐらいから11時半すぎまでいろんな話を聞かせていただいた。
野尻さんはもうすぐ還暦を迎えられるお年なのだが,
野尻さんが小学校3年生ぐらいまでは,畝畑に来る道はなかったらしい。
ネットで見かける辞職峠と呼ばれた峠を越える道がメインの道だったらしい。
地元の人は確かざんざれ峠とかザレ山峠とかなんとか呼ぶと言っておられたが,不覚にも忘れてしまった。
野尻さんの奥さんはそこを身重で越えたらしい。すごい…。
小学校はもともと本校(分校ではなく,独立した学校だった)で,大昔はさらに奥に分校があったらしい。
それが,弟さんが在校中に小口の小学校の分校になり,その後休校状態になり,やがて廃止されたらしい。
中学は小口の中学に行かれたらしいが,そこも今は廃校となり,
熊野川小学校や熊野川中学校まで行かないといけないらしい。
しかし,新宮市がちゃんと送迎車を使って送ってくれるので,昔とはえらく違う,とおっしゃっておられた。
また,子供の頃は今のお宅から川を挟んだ向かいに住まわれていたらしい。
その場所は,今は木々に覆われてしまっている。
昔はみんな林業をされていたらしい。
伐採した木々は,川を使って運んだらしい。
しかし,今の和田川を見ていると水量が少なくとても木を流して運べるような感じがしない。
そこでそのことを伺うと,大雨の時に流したり,川をせき止めておいて一気に水を流して木を運んだらしい。
てっぽう,と呼ばれておられたが,てっぽうの作業は危険で何人も人が流れでた水に飲み込まれて亡くなられたらしい。
そのうち道ができたので,今あるご自宅の前でトラックに木々を積んだそうだ。
子供ながらにその作業を手伝うと結構小遣いをもらえた,とおっしゃっていた。
悪ガキ(ご本人談)三人で1000円もらって,野尻さんがジャンケンに勝って10円多くもらったことがある,と言っておられた。
山の男は力持ちの人が多く,重油の入ったドラム缶を小学校まで運びあげた人もおられたらしい。
他にも,中学校の同級生でえらくなった人や社長さんになった人の話,
新宮で鍛冶屋をされていたおじさんや,ご兄弟の話を伺った。
さらに,ハチミツの話をじっくりと伺った。
野尻さんがとっておられるのは,ニホンミツバチのハチミツ。
しかし,野尻さんご自身はいうほど多くは採取されておられないので,
今回わけて頂いた分は奥さんのご実家の養父さんが作られたものらしい。
野尻さんが作られたものは,お世話になっておられる知り合いの方々に分けるとなくなってしまう,とのことだった。
ハチミツは,木を繰り抜いて作った巣箱を山の中に置いておくとミツバチがそこに巣を作るらしい。
そして,その巣から蜜を取るとのことだった。
巣箱には春に蜂が巣を作るらしい。
ハチミツは梅雨頃にはある程度溜まっているそうだが,
その頃の蜜はまだ水分が多く秋になってから採取するのがベストとのことだった。
実際には2年置いておいて,2年目の秋に採取されるらしい。
その際にポイントとなるのが巣箱の大きさらしい。
あまり大きくないと1年目に貯めた蜜を越冬時に蜂が消費してしまうので,
2年目に採取しても結局はその年に貯めた分になって意味が無いらしい。
そこで,ある程度大きな巣箱を用意されるらしい。
さらに,採取した巣箱から巣と蜜を取るそうなのだが,異なる巣箱から採取した蜜は混ぜない,とか,
花粉がついたものは別に分けておく,などの丁寧さが必要らしい。
花粉入りを好む人もいるそうだが,野尻さん的には花粉が多いと花粉臭くなっておいしくない,とのことだった。
金儲けに走って水っぽい蜂蜜を売ったり,いろんな巣から取った蜜をゴチャ混ぜにして機械で蜜を絞ったりする人もいるみたいだが,
味としてはどうしてもおいしくなくなる,というのが野尻さんの意見だった。
道の駅などで売っているものの中には,水分が多いものや異常に発酵して泡が出てるものが時々あるらしいが,
そういうものは品質としてはよくなく,おいしくないらしい。
しかし,洋風のハチミツよりは味が濃いので,知らない人はそれがニホンミツバチのハチミツと思ってしまうとのことだった。
ハチミツは数日中に届く予定なので,今から味が楽しみだ。
(
追記:蜂蜜はとても濃厚だけど,とてもなめらかですっきりしたおいしいものです。
半年待った甲斐があった)
また,テレビに出演された話も聞いた。
野尻さんはかれこれ10回以上テレビにご出演されているらしい。
一番はETV特集とのことだった。
2006年に放映されたものは,10年にわたって毎年何度も撮影に来たものらしく,
それを作られたディレクターの人は今でも畝畑によく来られるとのことだった。
撮影では特に何も演技をしないでいいと言われ,普通に生活されていたらしい。
山を歩く速度もいつもの速度で歩いてください,と言われたそうで,
カメラマンもプロフェッショナルだった,とおっしゃっておられた。
ネットで検索すると結構いろんな人が見ていたみたいで,
その件について書かれたサイトも多く見つかる。
わたし自身はまだその番組を見ていないが,かなりいい番組だったみたいだった。
また,テレビの影響は大きく,いろんな人から手紙を頂いたらしい。
一番すごかったのは,亀井氏(政治家)からもお手紙を頂いたらしい。
実は野尻さんはすごく有名な人なのだった…。
と,いろいろな話をしてると,あっという間に2時間経っていた。
当日は熊野川の学校の運動会で,野尻さんは奥さんからお昼にはお弁当を食べるから来て,
と言われていたそうなので,おいとまして先に進むことにした。
すでに11時半を廻っていたので,きっとかなり遅れられたと思うが,大丈夫だったのだろうか…
そこから,県道229号線で松根に抜け,七川から天柱岩,古座川の一枚岩,牡丹岩,虫喰岩のそばを通って,国道42号線に出た。
そのまま,国道42号線を走って,紀勢道,伊勢道を走って帰ろうと思って走っていたら,事故ってしまった。
右折してきた軽トラックにぶつかられてしまった…。
速度が遅く,怪我はなかったが,バイクのカウル(フェアリング)がバキバキになってしまった…。
バイクは自走できたので,ガムテープをもらって割れたカウルなどを固定して,そのまま走って帰った。
途中,伊勢道では結構雨が降っていて,走って帰るのも大変だった。
阪和道経由の方がよかったのかもしれないなぁ…